個人事業主になったので真面目にアウトプットしてみるブログ

フリーで顧客の会社に潜り込んでAndroidアプリつくって、とりあえず食っていけるようにアウトプットを増やしていくブログです。

プログラミングについて

プログラマーか人間か

僕はプログラマーである自分を人間だと忘れてしまいがちである。 しかし常に僕は人間であることを毎日思い知らされるている。 物理的な制約が、僕をこの社会に縛り続ける。

シンプルになる

人は最適化されるなかで生きていく。 最適化されていなければ、最適化するようにふるまう。 パターンを認識し、不必要な情報はそぎ落とす。 そぎ落とすことで余分なキャッシュをなくし、シンプルになろうとする。

人は同じではない

物事の事象に対する意味の見つけ方は様々で、どう反応するか、反応しないかは、本当に人のいる数だけ違うといっても過言ではない。 これをよく知らないでいると、とんでもない出来事に出くわす。 人は最適化の、シンプルになろうとする上で思い込みを利用する。 過去のパターンにこじつけ、まるで同じものであるかのように、反応する。 しかし、ほとんどの場合そのパターンに当てはまるというのは錯覚であることがすぐにわかる。 しかしシンプルにならなければ人は失敗をする。 このジレンマはいつまでも我々の中で誤解を生み続け、最悪の場合相手を消し去ろうとする。 (最悪は誰のものか?という問題はさておき)

コミュニケーション

人は同じではない、それゆえコミュニケーションが必要になる。 コミュニケーションには、似たようなプロトコルが必要で 地形的な制約による偏在性はそれを可能にした。 長い年月で培ったコミュニケーションのための知恵、知識の伝達は親から子へ受け継がれ。 それゆえの制約も受け入れなくてはならない。 その葛藤のなかで、他者を認識し、他者と同様のプロトコルらしいものがあることを確認する。

言葉

人がシンプルであるために、コミュニケーションという手段をとった。 他者と情報伝達手段の一つのプロトコルとして、形(文字)と声を利用し、言葉という概念を会得する。 言葉を発明した人は、言葉による概念の共有をはじめ、神をつくった。

論理

人は言葉を発展させ論理を獲得した。 論理には人を従えさせる力があった。そして法をつくり、邦あるいは国をつくった。 人はより多くの人のなかで生活をすることが、生きていく上でシンプルさを獲得するには重要であると知った。 人はそれぞれが違うので、より多くの人が集まれば、より多くの人が違いをもたらした。 その結果、論理がより多くの人のシンプルさを保つためのツールとしてつかわれた。 論理はもてはやされ、論理によって文化という概念の上で、論理と文化と文明を発展させていった。

電子制御された機械

論理は測定、記録、発見、発明の効率を上げた。そして科学の進歩を促し、論理自らもさらに発展し、機械が電子制御されるようにした。 機械は複雑な計算をより高速に演算し、情報の持つ価値を飛躍的に向上させるようになった。 電子機械はより小型化されるようになり、より多くの人にとって情報の価値がより上乗せされるようになった。 制御をつど組み替えられるように改造された。 電子機械をプログラムをつかって、より柔軟な演算が可能なように作り替えられていった。

つかれた・・・時系列や因果なんてよくわかんないや・・・何となくそうでしょって感じ

プログラミング

いい加減さっさとプログラミングの説明しろって? イイからもう寝て